[ All Along with you ]  a.k.a. [ It's all over with me ]
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2006年 03月 02日 *
今更ですが、05'紅白について書きたいと思います。
アバウトに書きましたが、正確に言うと紅白で唄ったSMAPの「Triangle」についての考察です。
Triangle
SMAP 市川喜康 小西貴雄 篠崎隆一 h-wonder / ビクターエンタテインメント ISBN : B000BVXFPU

このブログからも見て分かるとおり、自分は去年一年間で音楽を聴く機会が激減したのですが、「それじゃイカン!せめて紅白ぐらいは生で見ないと」ということでコタツ+みかんで他局と梯子しながら見ていました。

SMAPは03'に「世界に一つだけの花」で大トリをつとめて以来の出演。(04'はCDをリリースしていないなどの理由から出演を断っている)。文字通り「国民的歌手グループ」となっている彼らが再び大トリをつとめることに異論を挟むものはいないであろう。

スキウタアンケート1位ということで「世界に一つだけの花」を第2部の冒頭に全員で合唱。といいつつ、実際メインで唄っていたのはSMAPの5人で実質彼らは紅白で2曲唄ったに等しい形となった。

05'、SMAPがリリースした3曲のCDの中で一番売り上げが少なかったのが11月23日リリースの「Triangle」。ファンの要望によりCD化した事を考えると少し寂しい結果である。過去の通例、そして04'のことを考えると曲目は大トリなら「友だちへ~」、それ以外なら「BANG!~」が妥当であろう。*1

しかし、唄われたのは「Triangle」だった。これには事務所サイドの要望も含まれていたようである。格を考えればSMAPという歌手は一年の最後を閉めるに十分な存在だが、曲の売り上げだけを考えればそれ以前に唄われた(その他の歌手の)曲の方がよっぽど適しているという考え方もできなくも無い。

しかしながら、この曲の歌詞が実にスゴイ。
自由、平和、博愛、身命、継承といったようなkeywordがストレートにコトバにされている。「世界~」が理想論であるとするならば、「Triangle」は現実を直視した歌詞と言えるかもしれない。
そんでこんな壮大な曲を唄うのがSMAPなわけである。

別に唄がうまい訳ではないし、特別な平和活動をしているわけでもない。キムラの「精悍な顔つきで構えた銃は~」のところで手を銃のようにする仕草は『歌詞の本当の意味を汲み取っているのかな?』とか『「BANG!~」と間違っちゃったのかな?』とさえ思ってしまう
(キムラのことだからそこら辺も十分理解してのperformanceだと思うけど)

でも、これだけの曲を唄える(唄って許される、唄って違和感が無い、唄うだけの存在感があるetc...の様様な理由)歌手っていうのは日本には今SMAPしかいないわけで、それを紅白の大トリで披露したというのは実に価値があることだと思う。

歌詞をじっくり眺めると改めてそのスケールの大きさに畏れ入るばかりである。正直、自分如きが批評云々できるようなレベルのコトバではない。Bメロの すべてに満ち足りた 明日の日を 求め彷徨う 亡者の影
破壊でしか見出せない 未来の世界を愛せないよ
なんて一体全体どうしてこんなコトバを歌詞にできたのか?、一遍NHKに特集でも組んでもらいたいくらいである。 個人的には次に日本でサミットが開かれたら、イメージソングはこの曲以外に有り得ないだろうぐらいに思っている。

この曲を評価する時、良曲というより寧ろ問題作といった方が的確なのかもしれない。今の世界情勢、人々の感情をある意味的確に曝け出す歌詞であり、その内容は実に外向きである。比較対照のベクトルは「世界~」なんかじゃなく、もっと別なところにあるのかもしれない。自分の浅い知識だとそれに近いのが「We Are The World」なんだけど...まぁさすがにこの世界の名曲と比べるにはまだまだ役不足だし、こちらとも少しベクトルが異なるんだけど、行き着く先はこの曲に近いものがあるのではないかと今は感じています。

We Are The World: U.S.A For Africa

Various Artists / PolyGram


最後にこの曲を作った人物について。
作詞/作曲・市川喜康
今やMr.childrenの『over』と並び2大失恋ソングの双璧を成すまでの存在になった『オレンジ』やMIJ#9『夏日憂歌』、&Gの『Wonderful Life』などを手掛けた人物。歌スタ!!などにもでているようだけど自分は見かけたことがありません。
吉本興業所属というだけでいろいろな疑問が浮かんでくるのに、更にこの歌詞。一体どんな人物なのだろうか?公式ブログをみても音楽的なことは余り書かれていないことが、逆に興味をそそります。

*1「友だちへ~Say What You Will~」「BANG!BANG!バカンス!」「Triangle」
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# by philboc | 2006-03-02 17:25 | music
2006年 03月 02日 *
また更新が滞ってしまいました。

1月、2月と自分の精神的な弱さというか人が生きる上で不可欠な「ココロの余裕」の無さを痛感する毎日でした。

1月...というか正月。祖母がなくなりました。
もう何年も寝たきりの状態だったので、それなりの覚悟はできていました。年に何回も帰省出来るほど暇ではないので長いこと祖母とは会っていなかったのですが、たまたま正月帰省をしていた時で最期を看取ってあげることができました。

自分ももういい歳なので何度となく人の死というものと向き合ってきたのですが、自分の目の前で人が亡くなるというのは初めての出来事でした。ドラマとかで人の生き死にをテーマにしているものなんかがよくあると思うのですが、やっぱり自分が実際にその経験というか心理状態になってみないとその世界を知ることなんかできないんだということを強く実感するに到りました。

いい加減に思われるかもしれないけど、今までは葬式に参列しても...例えそれが生前親しくしていた人であっても、どこか人事のように傍観者のような気持ちで遠くを眺めていたような気がします。

心境の変化は突然起こるもので、今までは考えもしなかった自分の死に際や親の残りの人生なんかをふとした時に考えるようになりました。

自分は本当の苦境に立たされたとき、自らをそして自分の大切な人を支えることができるのであろうか...

柄にも無くそんな事を考えた2006'冬

*久しぶりの投稿がこんな重苦しいものになってしまい、申し訳ないです(ペコリ)
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# by philboc | 2006-03-02 12:56 | thought
2006年 01月 10日 *
↑は西行法師が詠んだ時世の歌で、正確には「ねがはくは 花のもとにて 春死なむ 
         そのきさらぎの 望月の頃」 (『山家集』)

(願うことなら、桜の木のもと、春に死にたいものだ、
         そう、あの二月の満月の頃に)
というものです。

春に死にたい...
一見何の変哲もない言葉だけど、実に重く、ココロに染み入るコトバと感じるのは自分だけでしょうか?

『好きな季節は?』と問われた時、(統計を取ったわけではないけど)『春』と答える人が一番多いと思う。出会いと別れの季節であり、多くの人が希望に満ち溢れ、あの体を芯から温めてくれるような暖かさは何にも変えがたいもの。
特に日本人が『春』を好む理由の一つに『桜』の存在が挙げられます。桜は日本国の国花であり、日本人にとって「花=桜、春=桜」といっても過言ではありません。桜の開花時期は毎春ニュースになるし、桜を見ること(花見)が一つの行事として認知されているのって結構すごいですよね。それに、(これまた統計を取ったわけではないけど)桜を表題にした唄ってものすごく多くないですか?(列挙しようと思ったけど、数が多すぎるので却下)。

これだけ人々に認知され、日本人のスタンダードとも言える桜ですが、その実情はとても一般とは言いがたいものがあります。葉が出そろう前に花が咲きそろい「何もないところに花が咲く」という状態は古来生命力の強さを示すものであると同時に、桜という花が実に特殊な植物であるという証明でもあります。そして、一時期で花が咲き、枯れるというその特異性はその儚さ故、死を準える花として桜を認知させるに至りました。

↑のような事実を自分が知った時、とても不思議な気持ちになりました。
自分の無知さを嘆くと同時に、こういう視点、観点で物事を考えることがあるんだーというある種の驚きのようなものを感じたり...

自分はどうだろう?やっぱり春に死にたいと思うのだろうか?
そんな事を想った、2006年正月
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# by philboc | 2006-01-10 16:43 | thought
2005年 12月 30日 *
大掃除の一環としてハードディスク(DVDレコーダ)を整理していて気づいたことですが、今年は戦後60年ということで戦争を想起するようなドラマだったりドキュメンタリーといったTVメディアによる特別番組が非常に多かったようなに思われます。何故ここまで戦争関連のTV番組が多かったのか?自分には良く分からないのですが、もしかすると近年の昭和回帰ブームや往年ドラマのリメークなどがそれを煽る一つの要因だったのかもしれません。

自分がテレビを見る時は、出演者の顔ぶれでその番組を見るかどうかの大部分を決めてしまっています。よって、これだけ多くの(戦争関連の)特別番組が放送されていながら、自分が目にしたのはそのうちのホンノ一握りだと思います。

その中で特に印象に残ったのが、先日放送された「戦後60年特別企画“おじいちゃん,本当のことを聞かせて”」。おじいちゃんとはフィリピンで日本軍から武装解除命令がなかったとして29年間フィリピンのジャングルでひとり戦い続けた小野田寛郎さんのこと。

小野田さんと対話をするのは石原さとみさん(19)。番組の途中途中に戦争時の映像が挿入されるものの、この二人の会話からは他のドキュメンタリーのような圧倒的な重々しさは感じられません。しかし、笑顔で孫世代の彼女と対話するその姿がすべてを物語っているような気がしてなりません。どんなに忠実にかつての惨劇を(ドラマで)表現しても、感じるとることができない"真実"がそこにはあるのでしょう。自分のように戦争を体験していない(言い換えると、戦争があったという事実さえ実感が乏しい)世代にとって、小野田さんの事を知らなかったという彼女の存在は番組内である意味で良いフィルターになっていたように感じられます。

他の番組のように戦争時の様子を克明に伝えているわけではないのですが、何か言葉で表現しきれないような不思議な気持ちにさせられました。真実を知るとは、もしかするとそういうことなのかもしれません。

惜しまれるのは、この番組が年末のしかも深夜の時間帯に放映されたということ。こういう番組こそ、ゴールデンのみんなのがテレビに視線を傾ける時に流してもらいたかった。
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# by philboc | 2005-12-30 23:59 | thought